会話の実体化は可能か

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英語をどう勉強するか?というのが全ての苦しみの根源であり、原罪であるわけです。それさえ確かならば、あとはがむしゃらにこなすだけなのですから…。まあ、どう勉強するかを試行錯誤して楽しむ質の人は、ともに罪を重ねていきましょう。

さて、スピーキングを独学で勉強するいい方法はないだろうか?ひとまず私が今やっている一つの方法をご紹介しましょう。通勤中などに、とにかく独り言を言うのである。声に出さずに、口パクだけでもよい。とにかく、思ったこと、感じたことを英語にするということを習慣づけることが目的だ。例として私が通勤中につぶやいていることを挙げてみると、「眠い、満員電車嫌い、全員殺す」という気持ちを、「I'm sleepy, I hate a full train, I kill them all.」として一人ごちる、という具合だ。始めてみると、かなり身近な単語もパッと頭から出てこないことに絶望する。絶望したら、I'm disapointed with myself.と呟くわけだ。

これは習慣付くとだんだん楽しくなってくるのでオススメではある。ただ、どうしても自分の身近な話にとどまってしまうし、独り言なので会話のシミュレーションとしては不足している部分もある。

そこで、日本語の自然な会話のテキストはないだろうか?と思ったのだった。つまり、友人同士の日常会話のそのままの文字起こし、ということになるだろうか。しかしこれがなかなか見つからない。まあ、特に価値があるわけでもない日常会話を文字起こしする人はいないのだろう。

例えば、個人のブログなんかはどうだろう?とも思うのだが、やはり思うに、書き言葉と話し言葉は根本的に違うという考え方をしてみたい。もちろんトレーニングにはなるだろうが、会話特有の言い淀みや間の開き方までシミュレーションしてみたいと思っているのだ。

自然な会話のテキストを求めて、小説などは使えないだろうか?とも考えたりした。特に、昨今のライトノベルの中には、地の文がなく、会話文だけで一本の本になっているものもあると聞くから、会話文のボリュームとしては十分すぎるくらいだろう。そう思って、アマチュアライトノベルが山ほど集まっている「小説家になろう」を覗いてみたのだが…

syosetu.com

わーだめだ。

「男は心の中に一本の剣を持っておかねばならん、大切な者を守るには―――」

「そうだな。ヴェンデリンとするか。その子が、バウマイスターの家名を継げる可能性はほぼゼロだがな」

「で、ランガ、俺はお前の名前しかつけてないハズだが、なんで牙狼達全員進化してるんだ?」

こんなセリフも言い回しも、一生使わないだろう。なによりこそばゆくて文章を直視できない。やはり根本的に書き言葉と話し言葉は違うのでは、と改めて思ったのだった。

そういうわけで、自然な会話の勉強法についてはいまだ試行錯誤している。まだまだ苦しまなければならなそうだ。楽しく苦しんでいきましょう。

テレパスランゲージ

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時には、自分のやっている勉強は何の意味があるのか、果たして何の役に立つのか、全て投げ出しても何も変わらない生活があるだけじゃないのか…そんな気持ちにもなったりするものだ。春がやってきて暖かくなったのはいいが、雨が多くなり憂鬱とした気分が心を支配していく。いや、気分なんていつだって理由なく暗くなったりするものなのだ。我々は暗くなった気分から、無理やりその理由をこじつけているにすぎない。

こういう考え方がふと頭をよぎることはないだろうか。人類は知識や学問などを構築し高度な知的文明を築いてきたが、実は全て感覚だけで成り立っているのではないか。政治も、経済も、全てその役割を担う人間が感覚で動かしているものに、後から理由が加えられているだけなのではないか。実はだれも何も考えていないのではないか…

言葉があることで、我々は物事を考えることができる、という言い方がある。ある概念に対して、適切な言葉が与えられることによって、その概念を始めて把握し、コントロールすることができるようになるのだと。つまり言葉が我々の感覚に枠組みをつくり、その枠組みによって思考できるのだと。私はかつてこのような考え方にある程度賛成していたように思えるが、最近それがよくわからなくなっている。

英語を勉強していると、日本語にはない未知の感覚について思いをはせることがある。あるいは英語にない日本語の感覚についてである。ごく簡単な話だが、how are you?に対してhi, how are you?で返すことができるというのは挨拶についてどういう感覚があるのか。冠詞aをつけるかつけないかを瞬時に想定し真っ先に口から出てくるというのはどのような感覚からなのか。スピーキングとライティングの差異についての感覚はどのようなものなのか。

これらは英語の感覚であるから、いつか私が英語を完璧に使いこなせるようになったら自然と身についているものなのかもしれない。こう言うと、言語の学習によって感覚が身につく、つまり言葉が感覚に輪郭を与えるということそのものではないか、というように聞こえるかもしれない。しかし、先ほど挙げた感覚というものは、ネイティブなら子供のうちに身につける、基礎の基礎である。母語が違うだけでこのような基礎の感覚すら共有できないということは、我々は何もかも感覚を共有していないのではないか?

この質問については、もちろんNoである。我々は母語が違い、お互いの感覚について完全に理解することができないとしてもなお、何かを共有しあっているのである。感覚が先にあり、その感覚を他者と通わせる術は、もっと何か良い方法があるのかもしれない。今は言語というものがあり、言語が感覚を縛り、その縛り方の違いで疎通に問題がおこるのだと考えることも可能である。

言語は、人間が発明しここまでの繁栄を支えた宝であり、文化であり、武器であり、そしてまた、枷であるのかもしれない。私が目指したいのは、感覚の究極の自由である。早く雨が上がって、青空が見えることを願う。

読むウンコ

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リーディング。しばらくスピーキング重視だった私が改めてリーディングに力を入れようと思ったのは、国内メディアのしょうもなさが所以である。読んでいると気が滅入ってくるので、その時間で海外への知見を広めるほうがよっぽど有意義ではないかと思ったのである。しかしリーディングはきつい。どうしても読んでためになるようなサイトでは単語も表現もむずかしい。苦労してなんとなく理解したところでgoogle翻訳にぶっこんで見ると、非常にクリアな訳文が一瞬で出てきて、驚くというか自分で読解する意欲が減退する。

さてそういうわけでリーディングの勉強になる読みやすくて楽しいサイトを紹介しよう。FMLである。

www.fmylife.com

FMLとはFuck My Lifeの略で、私の人生クソ食らえということのようだ。

どういうサイトかというと、読者がクソな体験談を投稿する。Today,から始まって、最後にはFML.と言って締めくくる。大体2、3文くらいの短い話だし、しょうもない話ばかりなので難しい単語はほとんど出てこない。裸で郵便に出ちゃった~とか、転んでウンコ踏んだとか、ほんとしょうもなく、雑誌の最後のほうの読者投稿欄という感じだ。

そんでこれが面白いかというと、大して面白くはない。ははあなるほど、話は分かった、それで一体何が面白いんだ…というものも多い。オチがよくわからないのもあり、文化の違いなのか、訳しきれていないのか…スラングもあり、こんな動詞の使い方するの?という表現も時々ある。まあ、英語を読むのに慣れるものだと思って、どんどん読み流そう。ここでは、質より量である。

国内メディアのくだらなさに嫌気が差して、海外メディアのFuck投稿を読むというのはどういうことかなと疑問が湧かないこともないが、そのあたりの感覚は戦略的にシャットアウトしていきたい。

 

ところで最近iPhoneの調子が悪く、バッテリーの減りが早かったり、15%からいきなり電源が切れたりと、怪しい挙動をしていたのだが、昨晩ふと触ろうとすると全く反応しない。充電器に繋げてみても、うんともすんとも言わなくなってしまった。まだ2年使っていないのに…これからAppleStoreに持っていこうと思っているところだ。

FML

背筋を伸ばして、息を吐く

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最近はスピーキングについてあれこれをやることが多いが、他の分野についても鍛えなくてはいけないことは分かっている。分かっているがやる気がしない。やる気はしないが、やらなければ伸びないので、どうすればやりやすくなるかをいつも考えている。考えるより実際に取り掛かり始めたほうがいいのも分かっているが、そのあたりはもう趣味というか業だと思って割り切っていきたい。

さてリーディングである。海外のニュースサイトを読むと、たとえばBBCなど、国際的なニュースが見やすく分かりやすく並んでおり、ああこういうニュースをきちんと把握してこそ模範的な市民であるなというか、情報化社会をきちんと渡り歩いているなというか、意識の高い思いが脊髄に流れ込んで自動的に背筋が伸びるような気持ちになるものだ。

BBC - Homepage

一方の日本の新聞社のサイトやまとめブログなどを読むと、その視野の狭さと大衆迎合主義とイデオロギーで腐って淀んだ紙面に色鮮やかで低俗な広告が下衆な欲求をあおる様が悪魔合体して自然と目は空ろになり背筋は曲がり口臭がくさくなるように思えてくる。

だから健全な市民たる私はBBCを開いているのだが、残念ながら英語が読めない。読めないけど開いている。雰囲気で背筋を伸ばしているのだ。

しかしリーディングというものはとにかく面倒くさい。書き文字というのはどうも文章が長く複雑化する傾向があるようだ。スピーキングの短文に四苦八苦している私が、一文で何行にも渡るものをすらすら読み解いていけるようには思えない。とにかく文字が何行にも並んでいるのを見るとそれだけで意欲が減退するものだ。

そこで色々と解決法を探していたのだが、いいものに辿り着いたので紹介する。

chrome.google.com

ブラウザのgoogle chromeのアドオンである。他のブラウザのアドオンにも類似のものはいくつかあるかもしれない。

これはどういうアドオンかというと、開いているニュースサイトなどのページを自由に編集することができるようになる。もちろん他の人に公開されるものではないし、保存されたりするものでもない。つまり一時的に自分の好きなようにwebサイトをいじれるというものだ。

これをリーディングにどう生かすかというと、まず長文が出てきたら、ざっくり一文ごとにいくつも改行を入れる。これで何行もの文字の山から解放されて、一文に対峙することができる。

さらに主語や動詞、文の切れ目となる言葉などで改行したりする。どこまでが動詞でどれが動詞なのか、このwhichは一体どこにかかっているのか、andはどことどこを並列化しているのか、などを分解する。

これでかなり文章の構造が把握しやすくなるはずだ。

 

これでどんどん英文を読み込むことで、リーディングスピードも徐々に速くなっていくはずである。ついさっき導入したばかりなので、使いこなせるようになったら、また詳しい分割の仕方を紹介しようと思う。早くBBCをすらすら読めるようになって、さわやかな市民を気取りたいものである。

デブゲット

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「表現英文法」をざっと読んで、その面白さに唸りつつも、さあこれで英語が喋れるようになったぞという手応えは全くない。当然だ。読んだだけで英語が喋れるようになる秘伝の書は存在しない。話せるようになるためには、話すことが必要なのだ。

 

「表現英作文」の面白さについてはまた後日に回すとして、とにかく英語を口から出す練習をしよう。

ところで最近自炊をさぼったりおやつをつい食べてしまったりして、お腹が一回り大きくなってきたように思う。これはまずい。日中も椅子に座ってばかりの仕事だから、体を動かす機会は作らないといけない。しかし残念ながら私はダイエットなどの運動が嫌いだ。球技は好きで、特にサッカーはずっとやりたいと思っているのだが友達が少ないのでなかなかやるチャンスがない。お腹はますます大きくなるばかりだ。考え事をするのに糖分が必要だ、などということはあるから、勉強をそれなりにしていればカロリーが消費されるということはないだろうか。人間の脳は高度な文化を作り上げるほど発達しているのだから、それなりにエネルギーを消費するようなものであればいいのに、私が英語を勉強してもお腹のお肉はなかなか分解してくれない。なんて効率のいい器官なのだろう。それとも私は勉強していると見せかけてあまり頭が回っていないのだろうか。それが一番ありそうであるが。

そういうわけで「太ってきた」を英訳してみよう。

いくつか検索してみた結果、以下の二つが主に使われている表現のようだ。

I'm gaining weight.

I'm getting fat.

おそらく下のほうが砕けた調子で、fatはちょっと侮蔑的な、つまりデブという言い方に近いものがあるので、他の人に向けては使わないほうがよさそうだ。

 

このgainとget、単純な意味ではどちらも「得る」ということだが、上の2つの例文でgainとgetを入れ替えると、これはちょっと不自然な響きになるようだ。どのくらい使われているのかをgoogle検索の件数で比較してみよう。

"I'm gaining weight" → 約 152,000 件

"I'm getting fat" → 約 357,000 件

"I'm getting weight" → 約 6,620 件

"I'm gaining fat" → 約 4,690 件

 なるほど。

 

ここで使われている「get」は、fatを「得る」というより、fatに「なる」というコアイメージなのだろう。weightを得て増やすgainすることはできても、weightになることはできない。

そうすると最初に挙げた二つも、直訳ではもう少し印象が違うかもしれない。

I'm gaining weight. 「体重が増えてきた」

I'm getting fat. 「デブになってきた」

例えばもともと痩せていた人の体重が、平均くらいにまで増えてきた、ということであれば、上の表現のほうが自然かもしれない。下だと、人によっては嫌味に聞こえたりするのかもしれない。

 

さて、今の私にどちらの表現のほうが自然なのか?と問われれば、これは確実にgetting fatである。I want to lose weight.

もしかしたらもしかしなかった

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日頃、ふと思ったこと、感じたことを英語にしようと思っているのだが、正直に言って、スムーズに英語にできた試しがほとんどない。なぜできないのか。それは私が日本語で感じているからである。

日本語で感じることについては以前にも少し書いたし、話が込み入ってくるので一旦脇に置いておくとして、ともかく、ふとしたときに思い浮かぶ日本語というのは多様な意味を持ちすぎていて英語化しにくい。

今日頭に浮かんだのは「もしかして、私は英語が話せるようになってきたんじゃないか」という言葉だが、とにかくわからない。思い浮かんだ言葉自体もなんだか情けないが、実際それが英語にできていないというのが二重に情けない。なにがもしかして〜なのか。よくよく考えてみると、別に多様な意味を持ちすぎて英語化しにくいというものでもなかった。枕が台無しだ。三重に情けない。

気をとりなおして取り掛かろう。問題は「もしかして」と「できるようになる」の表現だ。

いつものようにgoogle検索で解決に向かうことにする。ある程度信頼がおけそうなのは、「by any chance」であった。

海外ドラマで毎日英語リスニング鍛えちゃおう: Is he, by any chance, with your daughter?

by any chanceで調べてみると、確かに英語圏の使用頻度も高いように見受けられる。しかしどうやらこの表現は基本的に文末に添えるもののようだ。英語的感覚で話すなら文末でもしかしてという気持ちを添えることに慣れるべきだとも思うが、日本語ネイティブとしてはどうしても文頭で断りの気持ちをもって添えておきたいところである。辞書などで調べると副詞として「possibly」がある。これは確率的には「ひょっとして〜」という程度のようで、私の感じているフィーリングに近い。また文頭に入れることもできるので、これを使えば苦々しい顔で「ポッシブリィ…」と前置くことができそうである。

可能性を表す表現の使い方を教えてください|英会話|アルク

 

さて次に「できるようになる」の表現である。かなり使いそうなフレーズだが、ズバリ思い当たるフレーズがなかなか浮かばない。become to be able to ~あたりがなんとなく思い浮かぶが、なんというか大丈夫か?という不安な気持ちに襲われる。そこでgoogle検索である。

「~できるようになった」はどう表現すればいいですか?|英会話|アルク

そのまんまの質問が出てきてしまった。アルク大活躍である。英語の表現についてgoogle検索したときによく頼りにするのは、このアルクやDMM英会話なんてu knowである。どちらもプロがある程度の責任をもって書いているので、ひとまずは安心する。(なんてu knowの場合は、DMMという企業というよりは、個々の英会話講師であるが。)

さて上のアルクにはいくつか表現が例示されているが、一番自然な響きがあるように思える「I'm getting better at speaking English.」を採用しよう。

言われてみれば、getting betterなんてよく習ったようにも思うが、パッとでてこないあたりに、本当に英語能力の低さを痛感する。

ということで、「もしかして、私は英語が話せるようになってきたんじゃないか」は、「Possibly, I'm getting better at speaking English?」という感じでいいのではないだろうか、多分。独学だと、こういうフレーズに100%正解だという確信が持てないのが本当に辛いところだ。

そして、この疑問に対しては完全に「Absolutely not.」なのであった。はやくgetting betterしたいものである。

 

表現英文法

 この土日は多忙により、ブログの更新ができなかった。開始以来の連続更新記録は途絶えてしまった。連続更新自体に意味はないと思うも、少し寂しい気持ちがあることも確かである。気を取り直していこう。

多忙ではあったが、英語の勉強はしていた。数日前にいい本を購入したので、まだ途中だが紹介しようと思う。

英語の文の構造、つまり文法について、なぜその表現が選択されるのか、その言葉のニュアンスはどのようなものなのか、について詳細に解説された本。いわゆる文法書ではあるが、その目次からして独特である。

【第1部】名詞の文法 (モノ的世界)
[Chapter 1] 対象のとらえ方を示す冠詞
[Chapter 2] 数詞と数量詞
[Chapter 3] 前置修飾
[Chapter 4] 後置修飾
[Chapter 5] 代名詞
[Chapter 6] 名詞節

【第2部】動詞の文法 (コト的世界)
[Chapter 1] テンス(時制)とアスペクト(相)
[Chapter 2] 未来を語る表現
[Chapter 3] 動詞のタイプ
[Chapter 4] 話し手の態度と法助動詞
[Chapter 5] 態 能動態と受動態と中間態
[Chapter 6] 動詞のスクリプトと構文
[Chapter 7] 形容詞構文

【第3部】 副詞の文法 (状況的世界)
[Chapter 1] 副詞的表現の機能と位置
[Chapter 2] 豊かな意味を生み出す副詞的表現
[Chapter 3] 前置詞

【第4部】 情報配列と構文
[Chapter 1] 語順 情報配列のテンプレート
[Chapter 2] 情報連結詞
[Chapter 3] 文のタイプ
[Chapter 4] 比較構文
[Chapter 5] 否定構文
[Chapter 6] 話法
[Chapter 7] 仮定法構文

 

この本の最初は、「a」の使い方から始まる。aをつける名詞、つけられない名詞、いわゆる「可算名詞」「不加算名詞」の説明だが、単に例としてそれぞれの単語を上げるだけではなく、そのニュアンスの違いにまで踏み込んでいる。つまり可算名詞か不可算名詞かというのは、単にそう決まっているから、というものではなく、英語話者のモノに対する感覚を表している、ということなのである。たとえば「sand」は不可算名詞だが、「pebble」(小石)は可算名詞である。「rice」や「wheat」は不可算名詞だが、「oats」は可算名詞である。こうした詳細なニュアンスの考察を踏まえたりすることにより、「a」の項目だけで20ページほどが割かれている。続く「the」も20ページほどだ。「theの利用に関しては、相手のことを思いやらなければいけない」という趣旨のフレーズには心打たれた。

まだ読み途中だが、修飾語を「前置修飾」「後置修飾」の2パターンで解説しているのも興味深く、また腑に落ちるところだ。日本語では基本的に前置修飾しかないので、この前からも後ろからも修飾されるというのは非常にプレッシャーのかかるものだ。このような分類の仕方は感覚と非常にリンクするもので、構造がクリアになっていくようで大変面白い。

おそらく類似のテーマで大変人気のある本に「一億人の英文法」というものがあり、私も少しめくって読んでみたが、この「表現英文法」と比べると非常にライトな印象がある。学生や、そこまで仔細な表現のニュアンスを学ぶ必要のない人には、こちらのほうが読みやすいのかもしれない。私個人としては、「表現英文法」のほうがマニアックで面白く、読む楽しさがある。

まあ、言語構造の細部について掘り進める本なので、これを楽しく読んだところで、英語が話せるようになるかどうかについてはわからない。些細なニュアンスの違いが気になるようになって、より英語が瞬間的に作れなくなるということもあり得るかもしれない。しかしともかく面白すぎるので読み進めるほかない。

また読み終えて消化した際にはレポートを書こうと思う。