大前提

f:id:sawatarix:20170317124725p:plain

大前提として、私は英語ができない。

このブログは、あくまで私が英語を勉強するさまを書き付けるものであって、正しい英語を広く一般に伝えるというような価値のあるものではないことを断っておく。

また、勉強法などについてはさまざまに見当を重ねていくとは思うが、これもおおよそ公共の利益に資するようなものを提供できるとは思わない。なぜなら私のやり方は、私が私なりに私の感覚と知識を基にした納得から進めていくものであって、たとえば人間一般の記憶のありかたや理解の仕組みといったエビデンスのないものも多くなると思われるからである。私の感覚は試行や学習により日々変わっていくものであるから、昨日言っていたことと今日言っていることがまったく異なっていると言うことも出てくると思う。重ねて断っておくが、これは一般に正しい英語を伝えるブログではなく、あくまで私という個人が英語学習について試行錯誤するさまを書き付けているだけのものである。

次に英語学習に対する今現在(2017/3/17)の私の立場を述べていく。

英語は身につけるべきものである。英語ができない自分を非常に恥ずかしくそしてもどかしく思う。しかし差し迫った必要があるわけではない。差し迫った必要があるわけではないから、自然、勉強する意欲はあまり高くならない。

英語は一朝一夕で身につくものではないから、長期的な学習が必要である。意欲のあがらない学習を長期間続けるために、苦しい勉強法は極力避ける。無理に高い目標を掲げない。あまりストイックにならず、良くも悪くもテキトーな勉強にする。どうしても気が乗らないときは勉強をしなくてもよい。

また私は、自分の感覚について色々と考えたり調整を試みたりするのがどうやら好きなようである。また、自分なりに勉強の仕方を考えてみたりするのも好きなようである。こういった自分の趣向に合わせて勉強意欲をキープするために、自分なりに考えながら勉強法を試していく。

おそらくこの結果、私の英語学習は極めて歪で非効率的なものになっていると思われる。参考にしようという奇特な方がいらっしゃったら、よく気をつけていただきたい。