感覚言語の切り替え

「めんどくさい」は「I can't be bothered」でどうか。とほぼネイティブの友人に聞いてみたら、私が予想していた反応速度よりも若干遅く、「そうだね」との返事があった。

この若干の遅延が問題である。スポーツの世界では、コンマ秒で全てに差がついてしまう。言語、コミュニケーションもまたスポーツに似た部分があるから、この遅延がその場の雰囲気を左右する。この遅延は、違和感、差異に対する躊躇である。何を躊躇することがあるだろう。

郵便ポストにきちんと封筒が入っていったか気になる。玄関の鍵のかかり方が甘かった気がする。靴の中に砂が一粒入っている。なにかしっくりこない、ぴったり嵌らない、何かがずれている。気にはなるが、気にする程ではない。

 

私はこの違和感の原因に思い当たりがあった。

「めんどくさい」は日本語である。めんどくさい気持ちもまた日本語なのではないか。英語で感じる人間は、めんどくさいという感覚を感じない。英語で感じる人間は「I can't be bothered」と感じた時に「I can't be bothered」と言葉を発するのである。

これは突き詰めると「めんどくさい」の翻訳不可能性に辿り着いてしまう。

そこで解決法は2つである。感覚の差異があることを諦めつつ「めんどくさい」の訳語として機械的に「I can't be bothered」を採用するか、自分が「I can't be bothered」と感じるように感覚を切り替えていくか、である。

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スポーツ選手の例を考えてみる。野球のバッターは、至近距離に高速のボールを投げつけられるわけだが、あれはスポーツをしている最中という状況が感覚をスイッチしているからこそ、対処できるのである。日常生活のなかで同じようにボールが飛んできたら、反射的に目を閉じて身体をすくませることになるだろう。感覚のスイッチに慣れれば、普段以上の反応速度を出すことも可能だということである。

つまり「I can't be bothered」のすばやく自然な発声のためには、英語フィーリングへの切り替えをすることが有効という仮定が得られる。

 

この仮定を得た直後、問題点が山ほど思いつくことになるのだが、その検証についてはまたの機会としよう。ひとまずは、日常生活の中で「I can't be bothered」を感じて発声することである。I can't be bothered to feel and say "I can't be bothered".