パッと言う

日本語で書かれた文章から英語を生成しようとすると、どうしても単語や直訳からの並べ替えといった作業が発生してしまう。感覚からダイレクトに英語にする練習というのはどうやったらできるだろうか。

目の前に相手がいて、実際に会話をする、というのが一番よいことは確かだろうが、残念ながらそんな相手はいない。自分の中で会話をシミュレーションする、というのもうまいやり方だと思うが、自分の考えた文章があっているのかどうか確信できない。なにかいい教材はないだろうか。

たまたま昔買った本に、目的に近い本があった。

挨拶や日常会話の一文一文に、イラストが付いている。文章もそれなりに砕けていて、イラストから連想されるシチュエーションから直接感覚的に英語を生成するように仕向けている。挨拶一つでもそれなりにバリュエーションがあったので、これはこれでなかなか悪くない教材のようにも思える。確かどこかのブログで、瞬間英作文の教材としても勧められていたように記憶している。

ところでこの本、説明したように、一文一文にイラストが付いているせいで、イラストの量が半端ない。しかもどのイラストも線の勢い、人物の描きわけ、表情の豊かさ、かなりのクオリティがある。イラストレーターを見てみると、Kajioと書かれているが、経歴によると元ジャンプの漫画家であるようだ。ものすごく納得である。

 

しかしこの教材も、結局はイラストに添えられた文章から英語が生成されてしまう。英語の文章の記憶を引き出すのに、日本語がキーとなってしまうということだ。極力日本語を経由しないようこの教材が努力しているのはわかるのだが、これはつまり、イラストだけでは導くべき英語を定めることができないという、イラストの限界というのか、あるいは言語の説明能力の優位性というような原理的な部分の問題である。

とはいえ、文章だけの教材より、日本語がキーとなる割合は少なくなりそうだ。イラストから英語を導き出すのは、感覚から直接英語を生成するのに多少は近いだろう。人と対面しているイラストは実際に人と対面した時の感覚と近いのかどうか、という問題はさらに残るものの、重層的な記憶回路を作る上では役立てるべき一冊かもしれない。

 

さて別の課題としては、これが記憶の教材であって、生成の教材ではないということである。なんとか、日本語を経由せず、生成すべき英語をバリュエーションを持って指定しつつ答えも用意できるようなシステムが構築できないだろうか、というのが専ら最近の関心である。