言葉とイメージの狭間には

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瞬間英作文をやる。瞬間英作文は単純な素振りトレーニングなので、飽きやすい。飽きてくると、些細なことが気になってくる。

私が弟の部屋に入ってきたとき、彼は寝ていた

My brother was sleeping when I came into his room.

たとえばこういう訳文があり、日本語の順序と英語の順序が変化していることがある。

この日本語からこの英語を導こうとすると、

 

私が弟の部屋に入ってきたとき、彼は寝ていた

彼は寝ていた、私が弟の部屋に入ってきたとき

弟は寝ていた、私が彼の部屋に入ってきたとき

 

という3ステップの語の入れ替えが必要になる。これはあくまで私の英語力がポンコツだからだが。

翻訳の答えはひとつではない。だからこの1ステップ目をそのまま訳して、whenが前に出てきていても間違いではないだろうが、正答として書かれている文章にはどうしても意識が引き寄せられてしまう。なぜなら私の英語力がポンコツであり、自分で作る文章には自信が持てないからである。

また、この教材は口の動きを作るトレーニングでもあるから、こういう英文が書かれている以上、この英文を口に出し慣れるのが、この教材の求めているところだと思われる。

しかしそうして機械的に記憶してしまうと、この日本語の対応としてのこの英文、以外の応用が難しくなってしまう。実際、この例文をこなしているときは「ああ、この文は確か答えではwhenを後ろに持ってきていたな…」と、英文の構造を思い出してしまうのだった。これは少し文章構成の練習の機会を損失しているように思える。

 

 さてそもそもなぜ語順の変換の必要がおこるのかといえば、日本語は基本的に時を説明する文章を主部の前に配置するのに対し、英語では後に置くからである。この違いは一体何なのか、どういうニュアンスの違いを生むのかについてはまたいずれボンヤリ考えるが、それはさておき、こういう言語の構造上の違いにより、日本語を英語にするときに語順の変換がおこるのである。

この語順変換ステップの省略のためには、最初から英語で考えるべきである。あるいは、語順を英語調に並べ替えた日本語で考えるべきである。もちろんこれは感覚を英語モードに入れる必要があるから、英語モードで感じるための練習も必要になってくる。そのためには、日本語から英文へ並べ替える練習をすることはむしろ逆効果と言えよう。

 

日本語文を読んで英文を作るのではなく、感覚から直接英語を作る練習をするのが望ましい。ではどうやって練習をすればいいのか?この問いに対しての答えは、引き続き試行を重ねつつ随時提案していきたい。

瞬間英作文

スピーキングはスポーツである。よって素振りをこなすことは、本番環境でパフォーマンスを発揮するために有効なトレーニングである。そして今必要としているのは、朗々と語りあげる演説のようなものではなく、日常で交わす会話のようなレベルであるから、長文を練り上げる回路を鍛える練習はしなくてもよい。円滑なコミュニケーションのためには、コンマ秒レベルで反応できる短文の生成能力である。私は日本語会話において相手の発話に食い気味になるくらい日本語生成速度が速いときがありそれはそれでコミュニケーションに問題がある点があるが、英語においてそれを気にするのは時期尚早と言えるだろう。

英会話における素振りとはなにか?を考えたときに、現在最も納得しやすい教材が、瞬間英作文だろう。

中学レベルの短文を瞬間的に作り口に出し続けることによって、思考回路に、また唇や舌の動かしかたに、英語癖をつけるというのがこの教材のポイントである。確かに、He,She が主語の場合に動詞にsがつく、という知識は会得していたとしても、瞬間的に英文を組み立てなければならない会話の最中に、主語が三単現かどうかを考えてsをつける判断をとっさにするのは難しい。瞬間英作文をこなすことで、He...と発音した後にsがつかない動詞をつなげるのは違和感がある、という状態に持っていくことができるはずだ。つまり瞬間英作文はフィーリングを身体に染み込ませるトレーニングなのである。

 非常にすばらしい教材ではあるのだが、不満点もいくつか挙げられる。

まず例文にあまりリアリティのない文章が多いこと。「あれは面白い本ですか?いいえ、ちがいます」「この少年たちは中学生です」硬くて、いかにも教科書的な文章である。ディスイズアペンである。

また、中学英語の範囲を満遍なく押さえようとするためか、バランスの悪さが気になる。比較級に16ページ割かれているが、個人的には比較級について仔細に身につける必要はないように感じた。比較級についてはいずれまた述べるであろう。

また、中学英語をベースにしているために、実用の英語と多少離れた文章がある。感嘆文がいい例であるが、いまやWhat pretty cat is it!といった感嘆文の文法はあまり用いられないようだ。

英語の感嘆文はあまり使われない? ( ボランティア活動 ) - Key(きー)さんです - Yahoo!ブログ

ネイティブは使わない!?日本人が間違って使いがちな英語表現8選 | Days in the U.S.A

日本語でもそうだと思うのだが、「なんて可愛い猫なんでしょう!」という文章は、正しいとしても、実際に発話する人はほとんどいない。感嘆文というのは感嘆するときに使うので、感嘆したときはワーオ、キュート、アメイジングと興奮して言えば、感嘆ぶりが伝わるものなのだと思う。

そういったわけで、不満点もないことはないが、使うべき教材であり基礎であることは間違いない。また折に触れ、この教材を基にしたアレンジ勉強法なども紹介すると思う。

感覚言語の切り替え

「めんどくさい」は「I can't be bothered」でどうか。とほぼネイティブの友人に聞いてみたら、私が予想していた反応速度よりも若干遅く、「そうだね」との返事があった。

この若干の遅延が問題である。スポーツの世界では、コンマ秒で全てに差がついてしまう。言語、コミュニケーションもまたスポーツに似た部分があるから、この遅延がその場の雰囲気を左右する。この遅延は、違和感、差異に対する躊躇である。何を躊躇することがあるだろう。

郵便ポストにきちんと封筒が入っていったか気になる。玄関の鍵のかかり方が甘かった気がする。靴の中に砂が一粒入っている。なにかしっくりこない、ぴったり嵌らない、何かがずれている。気にはなるが、気にする程ではない。

 

私はこの違和感の原因に思い当たりがあった。

「めんどくさい」は日本語である。めんどくさい気持ちもまた日本語なのではないか。英語で感じる人間は、めんどくさいという感覚を感じない。英語で感じる人間は「I can't be bothered」と感じた時に「I can't be bothered」と言葉を発するのである。

これは突き詰めると「めんどくさい」の翻訳不可能性に辿り着いてしまう。

そこで解決法は2つである。感覚の差異があることを諦めつつ「めんどくさい」の訳語として機械的に「I can't be bothered」を採用するか、自分が「I can't be bothered」と感じるように感覚を切り替えていくか、である。

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スポーツ選手の例を考えてみる。野球のバッターは、至近距離に高速のボールを投げつけられるわけだが、あれはスポーツをしている最中という状況が感覚をスイッチしているからこそ、対処できるのである。日常生活のなかで同じようにボールが飛んできたら、反射的に目を閉じて身体をすくませることになるだろう。感覚のスイッチに慣れれば、普段以上の反応速度を出すことも可能だということである。

つまり「I can't be bothered」のすばやく自然な発声のためには、英語フィーリングへの切り替えをすることが有効という仮定が得られる。

 

この仮定を得た直後、問題点が山ほど思いつくことになるのだが、その検証についてはまたの機会としよう。ひとまずは、日常生活の中で「I can't be bothered」を感じて発声することである。I can't be bothered to feel and say "I can't be bothered".

二万時間の洞穴

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一説には、英語を十分に聞き取れるようになるためには、二万時間のインプットが必要だと言う。

二万時間。一日が24時間だから、その全てを英語に捧げたとしても833日分。2年半である。

この数字の根拠がどこにあるか、それが本当かどうかということはひとまず置いておく。とにかく長い時間が必要だということだろう。

 

さて、私はNetflixを使っている。今海外ドラマが面白い、そして海外ドラマを見れば英語の勉強になるのではないかと考えて契約したのである。

まず見始めたのは「Breaking Bad」である。冴えない化学教師のウォルターは、自分がガンで余命2年であることを知る。家族に金を残すため、元教え子と組んで麻薬の製造に手を出す。そしてどんどん後戻りできなくなり…というストーリーである。

ウォルターの冴えなさが絶妙で、やるせなさがひしひしと伝わってくる。事態が悪い方向に転がっていってしまうのも、家族との距離が離れていくのも、ウォルターの気持ちに共感してしまう。なぜこうなってしまうのか、なぜ…本当に辛い。このドラマは面白いが見ていて辛い。

辛くて、シーズン1を見終わったところで視聴が止まっている。

「Breaking Bad」が英語学習に良いか?と言われると、よく分からない。それを判断するレベルに達していない。しかし、半分裏世界の話ではあるので、スラングが多いのではないか。会話内容も、私は特に麻薬取引産業に従事しているわけではないので、インスタントに使えるものは少ないのではと思う。

 

英語の勉強のためにいい海外ドラマはないか?と検索すると、「Friends」が良いという意見がたくさん出てくる。

「Friends」は1994年に始まったアメリカドラマで、男3人女3人の仲良し友達がダラダラ会話したり遊んだりする。友達同士の会話がメインで話が進んでいくから、確かにナチュラルな英語の聞き取りにはちょうどいいかもしれない。

そう思って見だすと、これがとても面白い。ドラマとして面白いというよりも、会話やシチュエーションが可笑しくて笑える。一話あたり25分程度だからサクサク見られる。

最初は英語の聞き取りのためと思って英語字幕だけで見ていたりしたが、面白くてどんどん見たくてもどかしいので、日本語字幕で見るようになってしまった。それでも英語のインプットにはなっているだろうか。

1シーズン24話が全10シーズンあり、今は9シーズン目を見ている。全部見たとして、30min×24話×10シーズンで120時間である。「Breaking Bad」は1シーズン見終わって6時間くらい。

 

「Friends」も随分長いこと見たな、と思っていたが、私はいまだにリスニングが苦手なままだ。二万時間のインプットのためにはあと19,874時間が必要である。この洞穴は暗くて永い。

だるい、めんどくさい

英語に慣れるには、数をこなすことが必要だ。

言葉というのは、フィーリングをできるだけすばやく、的確に、口の動き、舌の動き、声帯の振動、息継ぎなどで表現するものだから、一種スポーツのようなものだ。そういうわけで、口に出し慣れるというのは、スピーキングにおいて筋トレや素振りにあたる。

ただ普段日本で日本人として日本人の中で生活していると、別に英語を口に出す機会はない。いきなり友人にヘローと言い出すのも恥ずかしい。

そこで独り言の活用である。

とにかく英語で独り言を言う。口に出せればなおよいが、心の中だけでも十分だ。

 

そういうわけで、独り言として使いやすい英語をストックすべきだと考えた。私が最も使う独り言といえば、「だるい」「めんどくさい」で決まりだろう。

 

だるい

I feel heavy.

I feel tired.

I feel sluggish.

 

めんどくさい

I can't be bothered.

That's hassle.

 

私が英語について調べるときは、大抵google検索で済ませてしまう。英語は猛者がブログを書きまくっていたり、企業がガンガン参入しているので、大抵のことは誰かが答えてくれている。大変便利。

 

体がだるいって英語でなんて言うの? - DMM英会話なんてuKnow?

 

細かなニュアンスについて知りたいときは、googleの画像検索が便利なときがある。

「だるい」で挙げた「I feel sluggish.」だが、slugはナメクジのこと。つまり「ナメクジっぽい感じ」ということなんだが、そんな言葉自然に使うのか?とふと疑問に思った。そこで「I feel sluggish」で画像検索する。

 

i feel sluggish - Google 検索

 

ああ、だるそうな人間の画像がたくさんでてくる。どうやらこのだるそうな感じを表現する言葉としては適当そうだ。

そういうわけで、ことあるごとに"I can't be bothered""I'm sluggish"とつぶやいていこうと思う。

大前提

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大前提として、私は英語ができない。

このブログは、あくまで私が英語を勉強するさまを書き付けるものであって、正しい英語を広く一般に伝えるというような価値のあるものではないことを断っておく。

また、勉強法などについてはさまざまに見当を重ねていくとは思うが、これもおおよそ公共の利益に資するようなものを提供できるとは思わない。なぜなら私のやり方は、私が私なりに私の感覚と知識を基にした納得から進めていくものであって、たとえば人間一般の記憶のありかたや理解の仕組みといったエビデンスのないものも多くなると思われるからである。私の感覚は試行や学習により日々変わっていくものであるから、昨日言っていたことと今日言っていることがまったく異なっていると言うことも出てくると思う。重ねて断っておくが、これは一般に正しい英語を伝えるブログではなく、あくまで私という個人が英語学習について試行錯誤するさまを書き付けているだけのものである。

次に英語学習に対する今現在(2017/3/17)の私の立場を述べていく。

英語は身につけるべきものである。英語ができない自分を非常に恥ずかしくそしてもどかしく思う。しかし差し迫った必要があるわけではない。差し迫った必要があるわけではないから、自然、勉強する意欲はあまり高くならない。

英語は一朝一夕で身につくものではないから、長期的な学習が必要である。意欲のあがらない学習を長期間続けるために、苦しい勉強法は極力避ける。無理に高い目標を掲げない。あまりストイックにならず、良くも悪くもテキトーな勉強にする。どうしても気が乗らないときは勉強をしなくてもよい。

また私は、自分の感覚について色々と考えたり調整を試みたりするのがどうやら好きなようである。また、自分なりに勉強の仕方を考えてみたりするのも好きなようである。こういった自分の趣向に合わせて勉強意欲をキープするために、自分なりに考えながら勉強法を試していく。

おそらくこの結果、私の英語学習は極めて歪で非効率的なものになっていると思われる。参考にしようという奇特な方がいらっしゃったら、よく気をつけていただきたい。

 

どこに行くの?

英語をやっていく。

英語の勉強の方法やスタンス、目標、心得などは全て後回しにし、まずは場当たり的にメモ代わりとして書き付けていく。

どこへ行くの?


初歩の初歩の英語かつ相当な頻度で使われる英語である。こんなものは何の苦もなくさっと口から出てきて欲しいところ。
Where are you going?

至極簡単だ。
だがまてよ。どこへ?と聞いているから、
Where are you going to?

「to」が必要なのではないか?

でも前者も十分耳にする気がする。後者も口に出してみるとそういう風に言うような気もしてくる。
そこで検索。

「どこに行くの?」を英語に直すと?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/380899.html

教えてgooなので信頼度は低いが、ここまで喧々諤々やっているとある程度のそれらしさは分かってくる。
よし分かった。よく分からないということが分かってきた。

さっき大卒の二十代のイギリス人青年にたずねたところ、
◎Where are you going? (自分はこれしか使わない)
×To where are you going? (まずだれも使わない)
×Where are you going to? (聞いたことはあるが、変だ)
という答えでした。

最終的にはこのあたりを採用し、Where are you going? で良いということにしよう。

文法は時として崩れるものであり、きちんと伝わる英語が正しいというスタンスでやっていく。