背筋を伸ばして、息を吐く

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最近はスピーキングについてあれこれをやることが多いが、他の分野についても鍛えなくてはいけないことは分かっている。分かっているがやる気がしない。やる気はしないが、やらなければ伸びないので、どうすればやりやすくなるかをいつも考えている。考えるより実際に取り掛かり始めたほうがいいのも分かっているが、そのあたりはもう趣味というか業だと思って割り切っていきたい。

さてリーディングである。海外のニュースサイトを読むと、たとえばBBCなど、国際的なニュースが見やすく分かりやすく並んでおり、ああこういうニュースをきちんと把握してこそ模範的な市民であるなというか、情報化社会をきちんと渡り歩いているなというか、意識の高い思いが脊髄に流れ込んで自動的に背筋が伸びるような気持ちになるものだ。

BBC - Homepage

一方の日本の新聞社のサイトやまとめブログなどを読むと、その視野の狭さと大衆迎合主義とイデオロギーで腐って淀んだ紙面に色鮮やかで低俗な広告が下衆な欲求をあおる様が悪魔合体して自然と目は空ろになり背筋は曲がり口臭がくさくなるように思えてくる。

だから健全な市民たる私はBBCを開いているのだが、残念ながら英語が読めない。読めないけど開いている。雰囲気で背筋を伸ばしているのだ。

しかしリーディングというものはとにかく面倒くさい。書き文字というのはどうも文章が長く複雑化する傾向があるようだ。スピーキングの短文に四苦八苦している私が、一文で何行にも渡るものをすらすら読み解いていけるようには思えない。とにかく文字が何行にも並んでいるのを見るとそれだけで意欲が減退するものだ。

そこで色々と解決法を探していたのだが、いいものに辿り着いたので紹介する。

chrome.google.com

ブラウザのgoogle chromeのアドオンである。他のブラウザのアドオンにも類似のものはいくつかあるかもしれない。

これはどういうアドオンかというと、開いているニュースサイトなどのページを自由に編集することができるようになる。もちろん他の人に公開されるものではないし、保存されたりするものでもない。つまり一時的に自分の好きなようにwebサイトをいじれるというものだ。

これをリーディングにどう生かすかというと、まず長文が出てきたら、ざっくり一文ごとにいくつも改行を入れる。これで何行もの文字の山から解放されて、一文に対峙することができる。

さらに主語や動詞、文の切れ目となる言葉などで改行したりする。どこまでが動詞でどれが動詞なのか、このwhichは一体どこにかかっているのか、andはどことどこを並列化しているのか、などを分解する。

これでかなり文章の構造が把握しやすくなるはずだ。

 

これでどんどん英文を読み込むことで、リーディングスピードも徐々に速くなっていくはずである。ついさっき導入したばかりなので、使いこなせるようになったら、また詳しい分割の仕方を紹介しようと思う。早くBBCをすらすら読めるようになって、さわやかな市民を気取りたいものである。

デブゲット

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「表現英文法」をざっと読んで、その面白さに唸りつつも、さあこれで英語が喋れるようになったぞという手応えは全くない。当然だ。読んだだけで英語が喋れるようになる秘伝の書は存在しない。話せるようになるためには、話すことが必要なのだ。

 

「表現英作文」の面白さについてはまた後日に回すとして、とにかく英語を口から出す練習をしよう。

ところで最近自炊をさぼったりおやつをつい食べてしまったりして、お腹が一回り大きくなってきたように思う。これはまずい。日中も椅子に座ってばかりの仕事だから、体を動かす機会は作らないといけない。しかし残念ながら私はダイエットなどの運動が嫌いだ。球技は好きで、特にサッカーはずっとやりたいと思っているのだが友達が少ないのでなかなかやるチャンスがない。お腹はますます大きくなるばかりだ。考え事をするのに糖分が必要だ、などということはあるから、勉強をそれなりにしていればカロリーが消費されるということはないだろうか。人間の脳は高度な文化を作り上げるほど発達しているのだから、それなりにエネルギーを消費するようなものであればいいのに、私が英語を勉強してもお腹のお肉はなかなか分解してくれない。なんて効率のいい器官なのだろう。それとも私は勉強していると見せかけてあまり頭が回っていないのだろうか。それが一番ありそうであるが。

そういうわけで「太ってきた」を英訳してみよう。

いくつか検索してみた結果、以下の二つが主に使われている表現のようだ。

I'm gaining weight.

I'm getting fat.

おそらく下のほうが砕けた調子で、fatはちょっと侮蔑的な、つまりデブという言い方に近いものがあるので、他の人に向けては使わないほうがよさそうだ。

 

このgainとget、単純な意味ではどちらも「得る」ということだが、上の2つの例文でgainとgetを入れ替えると、これはちょっと不自然な響きになるようだ。どのくらい使われているのかをgoogle検索の件数で比較してみよう。

"I'm gaining weight" → 約 152,000 件

"I'm getting fat" → 約 357,000 件

"I'm getting weight" → 約 6,620 件

"I'm gaining fat" → 約 4,690 件

 なるほど。

 

ここで使われている「get」は、fatを「得る」というより、fatに「なる」というコアイメージなのだろう。weightを得て増やすgainすることはできても、weightになることはできない。

そうすると最初に挙げた二つも、直訳ではもう少し印象が違うかもしれない。

I'm gaining weight. 「体重が増えてきた」

I'm getting fat. 「デブになってきた」

例えばもともと痩せていた人の体重が、平均くらいにまで増えてきた、ということであれば、上の表現のほうが自然かもしれない。下だと、人によっては嫌味に聞こえたりするのかもしれない。

 

さて、今の私にどちらの表現のほうが自然なのか?と問われれば、これは確実にgetting fatである。I want to lose weight.

もしかしたらもしかしなかった

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日頃、ふと思ったこと、感じたことを英語にしようと思っているのだが、正直に言って、スムーズに英語にできた試しがほとんどない。なぜできないのか。それは私が日本語で感じているからである。

日本語で感じることについては以前にも少し書いたし、話が込み入ってくるので一旦脇に置いておくとして、ともかく、ふとしたときに思い浮かぶ日本語というのは多様な意味を持ちすぎていて英語化しにくい。

今日頭に浮かんだのは「もしかして、私は英語が話せるようになってきたんじゃないか」という言葉だが、とにかくわからない。思い浮かんだ言葉自体もなんだか情けないが、実際それが英語にできていないというのが二重に情けない。なにがもしかして〜なのか。よくよく考えてみると、別に多様な意味を持ちすぎて英語化しにくいというものでもなかった。枕が台無しだ。三重に情けない。

気をとりなおして取り掛かろう。問題は「もしかして」と「できるようになる」の表現だ。

いつものようにgoogle検索で解決に向かうことにする。ある程度信頼がおけそうなのは、「by any chance」であった。

海外ドラマで毎日英語リスニング鍛えちゃおう: Is he, by any chance, with your daughter?

by any chanceで調べてみると、確かに英語圏の使用頻度も高いように見受けられる。しかしどうやらこの表現は基本的に文末に添えるもののようだ。英語的感覚で話すなら文末でもしかしてという気持ちを添えることに慣れるべきだとも思うが、日本語ネイティブとしてはどうしても文頭で断りの気持ちをもって添えておきたいところである。辞書などで調べると副詞として「possibly」がある。これは確率的には「ひょっとして〜」という程度のようで、私の感じているフィーリングに近い。また文頭に入れることもできるので、これを使えば苦々しい顔で「ポッシブリィ…」と前置くことができそうである。

可能性を表す表現の使い方を教えてください|英会話|アルク

 

さて次に「できるようになる」の表現である。かなり使いそうなフレーズだが、ズバリ思い当たるフレーズがなかなか浮かばない。become to be able to ~あたりがなんとなく思い浮かぶが、なんというか大丈夫か?という不安な気持ちに襲われる。そこでgoogle検索である。

「~できるようになった」はどう表現すればいいですか?|英会話|アルク

そのまんまの質問が出てきてしまった。アルク大活躍である。英語の表現についてgoogle検索したときによく頼りにするのは、このアルクやDMM英会話なんてu knowである。どちらもプロがある程度の責任をもって書いているので、ひとまずは安心する。(なんてu knowの場合は、DMMという企業というよりは、個々の英会話講師であるが。)

さて上のアルクにはいくつか表現が例示されているが、一番自然な響きがあるように思える「I'm getting better at speaking English.」を採用しよう。

言われてみれば、getting betterなんてよく習ったようにも思うが、パッとでてこないあたりに、本当に英語能力の低さを痛感する。

ということで、「もしかして、私は英語が話せるようになってきたんじゃないか」は、「Possibly, I'm getting better at speaking English?」という感じでいいのではないだろうか、多分。独学だと、こういうフレーズに100%正解だという確信が持てないのが本当に辛いところだ。

そして、この疑問に対しては完全に「Absolutely not.」なのであった。はやくgetting betterしたいものである。

 

表現英文法

 この土日は多忙により、ブログの更新ができなかった。開始以来の連続更新記録は途絶えてしまった。連続更新自体に意味はないと思うも、少し寂しい気持ちがあることも確かである。気を取り直していこう。

多忙ではあったが、英語の勉強はしていた。数日前にいい本を購入したので、まだ途中だが紹介しようと思う。

英語の文の構造、つまり文法について、なぜその表現が選択されるのか、その言葉のニュアンスはどのようなものなのか、について詳細に解説された本。いわゆる文法書ではあるが、その目次からして独特である。

【第1部】名詞の文法 (モノ的世界)
[Chapter 1] 対象のとらえ方を示す冠詞
[Chapter 2] 数詞と数量詞
[Chapter 3] 前置修飾
[Chapter 4] 後置修飾
[Chapter 5] 代名詞
[Chapter 6] 名詞節

【第2部】動詞の文法 (コト的世界)
[Chapter 1] テンス(時制)とアスペクト(相)
[Chapter 2] 未来を語る表現
[Chapter 3] 動詞のタイプ
[Chapter 4] 話し手の態度と法助動詞
[Chapter 5] 態 能動態と受動態と中間態
[Chapter 6] 動詞のスクリプトと構文
[Chapter 7] 形容詞構文

【第3部】 副詞の文法 (状況的世界)
[Chapter 1] 副詞的表現の機能と位置
[Chapter 2] 豊かな意味を生み出す副詞的表現
[Chapter 3] 前置詞

【第4部】 情報配列と構文
[Chapter 1] 語順 情報配列のテンプレート
[Chapter 2] 情報連結詞
[Chapter 3] 文のタイプ
[Chapter 4] 比較構文
[Chapter 5] 否定構文
[Chapter 6] 話法
[Chapter 7] 仮定法構文

 

この本の最初は、「a」の使い方から始まる。aをつける名詞、つけられない名詞、いわゆる「可算名詞」「不加算名詞」の説明だが、単に例としてそれぞれの単語を上げるだけではなく、そのニュアンスの違いにまで踏み込んでいる。つまり可算名詞か不可算名詞かというのは、単にそう決まっているから、というものではなく、英語話者のモノに対する感覚を表している、ということなのである。たとえば「sand」は不可算名詞だが、「pebble」(小石)は可算名詞である。「rice」や「wheat」は不可算名詞だが、「oats」は可算名詞である。こうした詳細なニュアンスの考察を踏まえたりすることにより、「a」の項目だけで20ページほどが割かれている。続く「the」も20ページほどだ。「theの利用に関しては、相手のことを思いやらなければいけない」という趣旨のフレーズには心打たれた。

まだ読み途中だが、修飾語を「前置修飾」「後置修飾」の2パターンで解説しているのも興味深く、また腑に落ちるところだ。日本語では基本的に前置修飾しかないので、この前からも後ろからも修飾されるというのは非常にプレッシャーのかかるものだ。このような分類の仕方は感覚と非常にリンクするもので、構造がクリアになっていくようで大変面白い。

おそらく類似のテーマで大変人気のある本に「一億人の英文法」というものがあり、私も少しめくって読んでみたが、この「表現英文法」と比べると非常にライトな印象がある。学生や、そこまで仔細な表現のニュアンスを学ぶ必要のない人には、こちらのほうが読みやすいのかもしれない。私個人としては、「表現英文法」のほうがマニアックで面白く、読む楽しさがある。

まあ、言語構造の細部について掘り進める本なので、これを楽しく読んだところで、英語が話せるようになるかどうかについてはわからない。些細なニュアンスの違いが気になるようになって、より英語が瞬間的に作れなくなるということもあり得るかもしれない。しかしともかく面白すぎるので読み進めるほかない。

また読み終えて消化した際にはレポートを書こうと思う。

ヒステリック文法

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「ハローエブリワン、ハーワーユー」
「「「ファイン、センキュー、アンドユー?」」」
「ファインセンキュー、シッダンプリーズ」
これが中学の英語のお決まりの出だしであった。
みんなで挨拶するから、自然と、ゆっくりはっきり一語一句しっかり声をそろえてこの呪文を唱えたのだった。当時からこの儀式になんの意味があるのか疑問だったが、後になって「I'm fine thank you, and you?」はあまり使わない、という話を聞いて、なおさら憤りを感じるのであった。

その英語教師は「わたしの名前は麻美(仮名)だからサミーって呼んで」と自ら言い出し、授業中も自分のことをサミーと呼ばせていた。何だろう、英語教師は英語っぽいあだ名をつけるとよい、みたいなことが指導要綱に書いてあったりするのだろうか。教師を堂々とあだ名で呼べるのは楽でもあったが、まあ狂っているなと思っていた。
サミーはおそらく40くらいの女性で、口紅が濃く、おかめみたいに口をすぼめて笑うのであった。カッと怒りやすく、また機嫌が悪いと授業が進まない。クラス内が嫌な雰囲気のまま時が過ぎるのを待つだけである。
今になって思うが、もしかしたら彼女は「大人の女性の色気」みたいなものを出そうとしていたのかもしれない。あの拗ね方といい、ねっとりした笑い方といい、本人としてはフェロモンを出しているつもりだったのかもしれない。中学生になにをしてるんだとも思うし、実際の好感度は最悪だったので、どういうつもりだったのかはもはや分からないが。

とある放課後、夕暮れ時の教室で、私は友達と3人で他愛もないおしゃべりに興じていた。なんとなしにサミーの話題になり、軽口を叩いて和気藹々と笑っていたところに、突然教室のドアがバーンと開けられた。
「あんたたちーッ!今私のことをーッ!ヒスって言ったでしょーッ!!」
なぜかそこには怒り狂ったサミーがいたのである。
突然怒鳴りこまれては戸惑うのも当然であるが、それ以前に、我々はサミーについて「ヒス」「ヒステリー」といった言葉は使っていなかったのである。というより、「ヒス」という言葉を知らなかったのである。
「ヒスって言ったでしょォォッ!」
しかし軽口を叩いていたのは事実であるし、「ヒス」が何かはよく分からなくても、なにかの悪口が偶然聞こえて怒っているということは確かなのだろう。我々は怯え、半分涙目になりながら謝罪し、なんとかその場を逃れたのであった。
後に「ヒス」「ヒステリー」の意味を調べると、「俗に、病的に興奮して感情を統制できず、激しく泣いたり怒ったりする状態。」とある。おい。まさにヒステリー状態だったではないか。

ところでこういう先生はもしかして珍しくないのだろうか。カラスヤサトシの漫画にも、色気をアピールしつつちょっとしたことで怒り狂うという先生の話が出てくるし、「鈴木先生」という漫画はフィクションだが、同じようなキャラクターが出てくる。
今思い出しても、小学校や中学校には珍妙な先生がたくさんいたが、気分で生徒を振り回すのは本当に勘弁してもらいたいものである。

甘い学習

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英会話カフェというものがあって、これはいわゆる英会話教室よりももう少し敷居を低くした英会話練習施設である。私の行ったところは無機質な部屋に2人程度外国人がおり、フリードリンクを適当に自分で飲みながらあとは好きにしてというようなものであり、これで一時間1000円弱という感じである。よく宣伝されているような大手の英会話スクールと比較すると半額以下である。また予約などが要らないので、行きたいときに勝手に行って、辛くなったら帰ればよいというのが気楽である。その代わり、外国人は特に英語の専門家というわけでもなく、英語を教えてやろうという気もあまりなかったり、モチベーションに個人差があったりする。総合すると、新しいことを学びにいくには不向きだが、会話の練習という意味では気軽でいいだろう。


気軽といっても、始めは入るのに勇気がいるものである。私が最初に行ったときには、私より英語が下手な人がいて精神的に助かったというのがある。この間は全員私より上手く、しかも外国人が一方的に話す人だったので、私だけついていけず玉砕した。
ところでこの勇気というか、気恥ずかしさというのは何なのだろう。もちろん知らない店、知らないコミュニティに入っていくことは多少緊張したりするものであるが、特に英語の勉強のときに特別な気恥ずかしさを感じるように思う。さらに外国人と話そうとしているときに、隣に日本人がいたりすると最悪である。気恥ずかしさはマックスになる。


英語の恐ろしいところは、普通に苦しくて辛いお勉強であるにも関わらず、基本的に身につけたいスキルでもあるということである。さらにその出来には地頭のよさ(こういう言い方は基本的に嫌いだが)や努力量、センス、要領のよさ、学習にかけられるお金と時間…というものが関係してくる、ように思われている。社会に出ると、だんだん学校の成績みたいなものは関係なくなり、ただの思い出話のようになっていくが、英語学習についてはうっすらとそれが続いているような感覚がある。


すごくざっくりとした見方だが、英語が出来不出来が教養のありなしのような目線で見られるというようなことなのではないか。もちろんそれは厳密には違うものである。しかしこの身につけたほうがよいが、身につけられないというようなジレンマ、不出来なところを見られるのが恥ずかしいというような羞恥心というのは、教養という(この言葉も極力えらそうに使いたくはない言葉だが)ものの存在に似ているような気がする。
しかし誰でも最初から英語が出来たわけではない。誰しも最初は不慣れにたどたどしい英語を喋っていたのであって、それを笑えるものはいないはずである。また、英語は急にできるようになるものではなく、徐々にゆっくりと上達していくものでもある。ならば、たくさんの人がその過程上にいるはずだが、その人たちはあまり声を上げることはない。


私は、英語の勉強を、苦しんで目を瞑り、駆け抜けるように上級者になりたいのではなく、その過程の景色を楽しみながら、ゆっくりと続けたいと思っている。それは、そのほうが美しいとかかっこいいとかではなく、辛い思いをするのが嫌だし、がんばって勉強するのは面倒だからである。どうせなら、自分の納得いくように、趣味のようにやりたいということである。


英語の勉強をしていると、多くの知人がアドバイスをくれる。一番重要なのは単語の暗記量であるとか、発音であるとか、ラジオでニュースを聴くのがよいとか、外国人の恋人をつくるとよい、といった、効率よくすばやく英語を習得できる早道を教えてくれるのである。しかし私が本当に求めているのは、作業的にならずに単語を覚えられる方法だったり、発音が正しいかどうかをどうチェックできるかということだったり、聞きやすいが力にもなるラジオ番組だったり、双方の負担にならず外国人に英語を教えてもらえる方法であったりするのだ。こう説明すると、あまりいい答えは返ってこない。私のこの考え方は甘いとおもうのだが、英語を勉強する必要が必ずしもない状態で、甘く勉強することについては、誰にとがめられるものでもないだろう。


そういうわけで、このブログは、英語初心者が甘く勉強することについて声を上げている場所があってもよいはずだというスタンスでやっている。本当に楽しくて異様に効率のよい勉強法が見つかればしめたものである。

ステータス・カウンタが回らない

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引き続き、自分を冷静に見つめることとしよう。

「スピーキング」だが、これはその性格上、学校教育で学ぶことが最も難しいということはすでに述べた。正答が確定しにくく、採点がむずかしく、教材の確保もむずかしい。最近しばらくの私のテーマはこのスピーキングをいかによく学べるかということであり、その手法開発に四苦八苦しているのである。
さてその四苦八苦の結果、スピーキングが得意になったかというと、道半ばである。スピーキングについてもう少し細かく見てみよう。
スピーキングの前提段階としてある発音についてだが、これはある程度練習したところ多少充足感があり、もちろんまだまだ課題はあるものの、カタカナ英語でガンガン話している人などをたまに見るに、このある程度の充足感があればそれ以上をあまり深追いすべきでないという結論に至った。発音を学ぶことはリスニングにもよい影響をもたらすと思われるのではじめに勉強すべきではあるが、通じる英語のための必須レベルとしてはそう高いものではないということは把握しておいてよいだろう。
スピーキングと聞いて一般に想定されるのは、頭に浮かんだ日本語を瞬時に翻訳する能力である。基本的にはこれを鍛えることになるのだが、これには文法の知識と語彙が前提となり、どの文法表現を選択するかという判断、時制や人称による文の変形の適用などをすばやくこなす必要がある。これを一種のスポーツだと捉え、パターンプラクティスを繰り返すことで反応速度を上げるというのが勉強の基本となる。
今挙げた、文法表現の選択および時制や人称による変形については、もちろん意識的に操作できるようになることが前提であるのだが、おそらく勉強しているうちに多少フィーリングで無意識的にこなせるようになることが望ましい。つまり三人称単数が主語のとき、動詞にsがつく響きのほうが自然に感じられ、無意識のうちにsをつけて発音するようになること、また、頼みごとをする際などに、その文法知識からではなく、申し訳ないという気持ちから自然にwillよりwouldが選択されるというようなことである。これらは英語的フィーリングの習得と言えると思うが、スピーキングの上達のためには避けては通れぬ道ではないかと考えている。この習得のためには、もちろん文法理解や知識の習得も大切であるが、いわば他文化理解といった視点からの研究が必要となると思う。このために言語そのものの成り立ちやネイティブの細かい使い分けなどを調べることは楽しく奥深いものであり、私が進んで取り組んでいることである。また、外国のドラマを見ることもこのフィーリングを感覚で理解するのに非常に有効であろう。
さてさらにスピーキングについて加えておくならば、挨拶や相槌、慣用句などのいわば丸暗記のようなものも必要となる。挨拶などは文法的理解で習得するものではなく、こういう場面ではどういう言葉をかけるかというものがある程度決まっているものである。難解なものではないにせよ、前述してきた思考回路とは別軸からのアプローチが必要となり、また日常的には頻繁に唐突に差し込まれるというのも特徴である。これも繰り返し練習することで反応速度を上げることが基本ではあるが、文章翻訳よりさらに生き物的でありまたフィーリングにも近いものとして、やや特別な注意を払いながら習得するべきものである。
スピーキングに対してさまざまなアプローチを考えては試している日々ではあるが、レベルとしてはどのくらいなのだろうか。私はたまに英会話カフェという、外国人と英語で話す機会が設けられたカフェスペースのような場所に訪れることがあるが、正直に言ってしどろもどろである。スッと英語が出てくるときもあるが、すこし言葉に詰まると後が続かなくなってしまう。おそらく習得単語量の不足や、単語が思い浮かばなかったときの説明や迂回、その際の文構造の把握などが原因としてあり、またそこに生来の尊大な羞恥心などが追い討ちをかけるのだと推測する。単純には、練習不足、経験不足だと言える。
スピーキングは私にとって楽しんで勉強できる分野ではあるが、楽しさの追求のため、効率としてはあまりよくないように思われる。RPGで言えば、最初の村から少し離れた洞窟で狩りを楽しんでいるというところなのだろうか。レベルは4程度と考えたい。

最後に「リスニング」である。私はもしかして生来英語のリスニングが不得意なのではないかと思うところがある。前述した英会話カフェでの会話にしても、私だけ英語が聞き取れていないということがある。英会話はコミュニケーションであるから、お互いのキャッチボールがうまく往復することで成立する。つまりスピーキングだけうまくなっても、英会話は成立しない。スピーキングのレベルに合わせるようにリスニングも鍛えなければいけない。
英語を聞き取れるようになるためには最低2万時間のリスニングが必要だと聞いたことがある。真偽については置いておくが、私の読んだ別の本でも、まずは膨大な量のインプットが習得の早道であるということが書いてあった。また、できれば年の小さいうちからがよいということであった。

思えば、子供時代はあまり英語に触れぬ日々であった。もっと幼少期には両親が英語教材を買い与えてくれていたようにも思うが、継続的に大量に摂取するまでには至らなかったのだろう。そうであれば、一刻も早く、大量に英語をインプットする必要がある。
そこで英語ドラマやポッドキャストなどをよく聞くようにはなった。なったが、2万時間には程遠い。少しでも効率を高めるため、意識的なリスニングができるよう心がけてたり、様々な工夫を試みてもいるが、まだまだ道のりは長いだろう。ようやく旅が始まったというところだろう。現在のレベルは3くらいあってほしいと思うが、低めに見積もって2としておく。

こうして私は私のステータスを把握することとなった。
リーディングLV5
ライティングLV2
スピーキングLV4
リスニングLV2

こんぼうかどうのつるぎを装備し、ドラキーを倒しているレベルである。こうして冷静に見ると、おぞましいほどに弱い。しかし誰でも最初はレベル1だったのである。ここから、どこをどうやってどう伸ばすかが考えどころなのである。今現在は、スピーキングおよびリスニングを伸ばすことをしばらく考えていたいと思っている。いつか勇者として胸を張れる日が来ることを願って、日々スライムを倒すのである。